福岡の酒造会社の大切な文化財が屋根裏の配線ショートで火災。
(詳細はこのブログ最終のリンクから)
…もったいないですね。
配線が老朽化?…と考えるその前にあることが思い起こされました。
あるときの問答。
「鳥越くん、『古民家』と『そうでない家』の境目って分かるかい?」と。
その時の答えは「電気の有無」だったのです。
家があって、後から電気を引いたのが「残されている古民家」。
始めから電気ありきで建てられたのは「古い家」。
おおお、それは分かりやすい!と感動したものでした。
後から引いた風の装飾が心憎い栃木県「癒堂。」
そうなんです。
「電気はあとから。」それが本来の古民家の姿かもしれません。
本年行われた「民家の甲子園」で大分県立竹田高等学校さんの発表にもありました。
その視点に度肝を抜かれたことを覚えています。
「追憶」
家の中で見つけたもの達。燭台が立ち、その下には葉書。昔の人は蝋燭の薄明かりの下、葉書に込められた想いを読んでいたのだろうか。今では蝋燭に代わり、電球の明かりが明々と想いを照らす。今では使われなくなったもの。それは今と昔を繋ぐもので、昔の人の記憶の欠片。
だからといって「不便なままの古民家」が良いとは考えていません。
電気、ガス、水道。さらに現代では光回線があっても良いのかも。
伝えられてきた「良いもの」を最大限生かしながら、豊かに暮らす。
それが我が国の理想的な住まい方だと考えます。